麹
富山では、毎年冬を迎えると、各農家で味噌づくりが行われていました。原料は、秋に収穫されたばかりの新鮮な米(麹)と大豆。味噌づくりの前日には、大豆をよく洗い、水につけておきます。そして当日には、大豆を煮て潰します。その潰した大豆に、麹屋から運ばれてきた麹をほぐして加え、混ぜ合わせます。それを樽に入れて約1年間寝かせば、美味しい味噌が出来上がります。文面にすると簡単な作業のように思えますが、1日がかりの大変手間のかかる作業でした。 手作り味噌に必要な麹。富山県には全国でも珍しい麹協同組合があり、その加盟店では富山県コシヒカリを使って麹が作られています。また、人口に対して、麹屋の件数がかなり多いともいわれています。近所の麹屋に気軽に麹を買いに行くのは、富山では日常的な光景。麹は富山の食文化に深く浸透しています。 一方、味噌を作る農家は減ったといわれていますが、「麹をほぐすと、お米のいい香りがして、冬の訪れを実感します」という声も聞こえるほど、冬の恒例行事として作り続けている農家もあります。いつの時代も食卓に欠かせない美味しい味噌は、美味しいお米から生まれているのですね。
涅槃団子
涅槃団子とは、旧暦の2月15日、お釈迦様の命日に行われる法要「涅槃会」で参拝者に配られるお団子のこと。その団子はお釈迦様の舎利(ご遺骨)に例えられ、無病息災や交通安全、厄除けなどにご利益があるとされています。
色々な神様を敬う信仰心の厚い富山県では、涅槃団子を毛糸で編んだ袋に入れて、子どもにお守りとして持たせる風習が定着しています。特にその傾向が強いのが、富山県西部。ランドセルに付けて歩いている子どもの姿が見られます。
また、涅槃団子にまつわる言い伝えも多く、「この団子を多く拾った人は病気にならない」、「三粒を腰から下げて山菜採りに行くとマムシに噛まれない」など、各地に様々な言い伝えが残されています。
富山の涅槃団子は、うるち米粉を使ってビー玉のような丸い形に仕上げ、彩色したものが多いとされていますが、お寺によって形も色も実に様々。
本来の色は仏教でいう五大(地・水・火・風・空)を表し、赤・白・黄・青・黒を作るそうですが、南砺市の安居寺では着色せず白のみ、同市の金城寺では赤・白・黄・青、砺波市の千光寺では赤・白・黄・青・黒(茶)が作られています。また、高岡市の大仏寺や射水市の大楽寺では金箔がまぶされています。
針歳暮
針仕事を慎み、使えなくなった針を餅や豆腐、こんにゃくなどに刺して供養し、神社に納めて裁縫の上達を祈ることを「針供養」といいます。この行事は全国的には2月8日に行われていますが、富山では「針歳暮」と呼ばれ、12月8日に行われています。
富山では、針を刺す餅を「針せんぼ餅」といい、ナガマシが使われます。ナガマシとは、花嫁が嫁いで初めての12月8日に実家から嫁ぎ先に贈る、大振りの大福餅のこと。「生菓子」が音韻転倒して、そう呼ばれるようになったと言われています。大福餅には“大事な娘をよろしくお願いします”という親心が込められており、それを受け取った嫁ぎ先では親戚や近所などに配るという風習があります。
この風習を今も残す地域は富山市や黒部市、入善町などであり、黒部市や入善町には“姑と仲が悪かった嫁が海に身を投げたら、嫁の魂がハリセンボンという魚になり、命日が近づくと海が荒れ、ハリセンボンが姑の顔に食いつく”という少し怖い言い伝えが残されています。また、氷見市ではナガマシではなく、饅頭を届けるのが習わしとなっています。
米騒動
大正7年(1918)、世間を賑わせた「米騒動」。この騒動は、魚津町(現.魚津市)で起こった輸送船への米の積み出し阻止がきっかけといわれており、その背景には米商人の買い占めなどによる米価の高騰や都市人口増による米不足といった社会的な問題がありました。
当時、地元の米商人が買い付けた米は、銀行の米倉に預けられ、そこから輸送船に積み込まれて県外へ出荷されていました。米騒動が起きたのは、同年7月23日、十二銀行の米倉前でした。輸送船が大町海岸に寄港した際、米価高騰に苦しんでいた漁師の主婦ら数十人がそこに集まり、米の積み出しをやめて地元住民に販売することを要求。警察が出動する騒ぎになり、米の搬出は中止になりました。その後、この事件が新聞によって報道されると、たちまち全国的な米騒動へと発展。寺内内閣を総辞職に追い込む事態となりました。
現在、米騒動発祥地に当時の建物が現存しているのは、全国でも十二銀行の米倉だけ。魚津市では、米騒動の名残をとどめる貴重な遺跡として、一般公開を実施しました(通常の観覧には手続きが必要)。